社会契約は命に最も近いところを人質にして、むすばれて、死や不安を遠ざけることが常にその権力の手続になる。 一般意志にしろなんにしろ、それ故に、殆ど必然的に、逆説的に、資本主義的な闘争世界の神話が君臨する荒野に投げ出される。 従ってその神聖な世界の真理を、現実に止揚する必要がある。 神の摂理や管理の形態を持つ社会は闘争(命に近く、死を遠ざける点)の契約によって齎され、人の上に君臨する。 存在しないはずの神が存在し得てしまうパラドクスは、あくまでも社会的諸生産関係やその所与に基づいた契約の権力構造であることは常に確認され、 絶えず議論されなければならない。 これは各々人が個別に信仰する信条の問題ではなく、それらの信仰の総和としてのシステムとして有機的に、 存在しないものが存在可能になる根拠と仕組みの物語であり、その読解は超人にのみ可能なのだろうか。